お金との付き合い方

生き方

お金の正体

現代で生きていくには必需品である「お金」。食費などを自給自足できたとしても、やはりガスや電気、通信費など自給自足するには限界があるだろう。ということは、人は「お金」に依存した生き物ともいえる。「お金」というものを考えないと、自由に生きるには遠のいてしまう。やっかいな相手だ。

「お金」これを読んでいるあなたはいくらあればよいのだろうか。人生100年時代。老後には2000万円かかるなんて、少し前にはメディアがやたらと騒いでいた気がする。そんな私も不安と戦うために貯金や投資ということが少なからず頭によぎる。ただ、どれくらい必要なのかと聞かれると、これぐらいと言えない自分もいるのだ。

言えないのはなぜか。「結婚するなら年収は〇〇〇万以上ないと…」「子どもをもつなら最低でも〇〇〇万円は貯金しておかないと」「贅沢な暮らしをするためには年収〇〇〇〇万円必要だろう」など、それらは漫画・映画・SNS、それら身近なものから触れた情報が自分の中に入り込んで、自分の将来を考えたときにいくら必要なのかを確定させにくくしているのだろう。

「お金」という存在は、やはりやっかいだ。多くを貰えるなら貰いたいと何故か思ってしまう。

何か買いたいものがあるの? 暮らしに満足していないの?

そういった問いかけに対して、答えとしては何か絶対に欲しいものがある訳ではない、そして暮らしに関しても衣食住が揃っていて不満がある訳ではない。

なのに、100万円あげるよ。と言われたら、少し疑いつつも喜んでもらうだろう。

「お金」の正体。ここで一度「お金」の正体は「未来」と捉えようと思う。

お金がなくなることは不安につながる。それは、衣食住が揃えられない「未来」を考えるからだろう。年収が高いと「未来」に対しての選択肢が多く取れる。そのため、年収が低いことに不安を覚えることも当然である。

このように「お金」の正体を「未来」と捉えると、途端に自由に生きることが難しくなる感覚がある。

それもそうだろう。「お金」というものを失うことや、増やすということが「未来」と直結してしまっている限り、「お金」に依存した自分を作り上げているのと同じである。

では、「お金」の正体をどう捉えればいいのか。どうすれば、自由に生きていけるのか。ここに書きつつ深めていきたいと思う。

お金を得る目的は

突然ではあるが、あなたには理想の人生があるだろうか。どの場所に住んで、どんな仕事をして、どんな人が周りにいて、どんな気持ちで毎日を過ごしているか。

そういった理想を書いたことがあるだろうか。

それは自分では到底実現が無理だと思った理想だとしても、書いてみた方がよい。

なぜ書いた方がよいかというと、そこから見えてくるお金の本質に触れることが出来るからだ。

もしも、豪邸に住んで、執事を雇うような自分を望んだとしよう。そうすると、それを実現するために具体的にいくらの額が必要なのかが見えてくる。そうすれば、その額をどう稼ぐか、今の仕事をさらに深めてもよし、いっそのこと辞めて違う職種へと移ってもよい。なんなら、選択としてパートナーに求める条件にしても良いだろう(それは結局のところ依存につながるのだが…)

つまり、お金はその程度なのだ。(手段でしかないということが言いたい)

理想の自分をイメージすれば、あとは必要な額を求めればよいだけで、お金が先にあるのではない。もちろん、それを実現するための努力は必要になるだろうし才能という壁にもぶち当たると思う。だが、不自由ではないだろう。それを目指す自分は、誰からか指示されたレールの上を走っているのではなく、闇雲ではあるが、自由に駆け巡っているだろう。

ただ、お金にはややこしい性質がある。先ほど書いたように「未来」という起きていない現実に対して安心するためのものとして活用できるという面だ。

そうなると、よりお金から自由になるには貯金という形をとることだろう。

なんだ、結局は貯金か。

と思うかもしれない。ただ、その貯金にも「どの不安」に対して「どの程度の貯金」かを設定する必要がある。例えば、「病気になったときに働けなくなった」としても「1年は生活できるような額」とかでも良いし、「子どもが私立学校に通いたい」と言い出したとしても「中学3年間なら通わせる額」とかでも良い。

あまり不安ベースで貯金をするのは精神衛生上よくないのだが、起こりえる未来に対しての貯金額が設定できれば、それに対して行動していけばよいだけで大分と不安から解放される。

「お金」というものを未来と捉えることは間違いではないのだろう。ただ、起こってもいない未来を想像して不安になるのはバカバカしい。これから先起こるであろう大地震に対して、毎日が不安だからシェルターに隠れて生活をしていますっていう人が近くにいるだろうか。

だからこそ「お金」を未来と捉えるよりも「手段」にすぎないと捉える方がよい。

もちろん、未来を想像し不安を覚えることもあるだろう。ただ、その不安というものはお金がいくらあっても、次なる不安が出てくる。持っていないものを持ち出すと、違った不安というものが出てくるものだ。よく宝くじを当てた人が不幸になる。みたいな本や動画が注目されるが、その本質は「お金」というものの捉え方を間違ったが故に翻弄されてしまうというものだろう。

「お金」というものは手段にすぎない。

あなたにとって、どう生きたいかが重要で、不安に覚える未来は、なぜ不安になるのか自分と向き合わないと「お金」で解決はできないと思った方が良い。

いやいや、「お金」さえあれば「仕事」を辞めて自由に暮らせるし、何のストレスもなく生きていけるじゃないか。

そういった言葉を聞くが、人間を一番苦しめるものは「暇」であると記事主は思う。その「暇」というものは、自分が社会にとって貢献できていない状態である。何もせず、ただぼーっと生きたり、お金が尽きるまで1人旅行をしても、その「暇」という敵は自分を苦しめてしまう。

だから、「仕事」を辞めて自由に暮らせる!といった気持ちを持っている場合は、もう一度自分と向き合った方がよい。なぜ「仕事」に対して辞めたいという気持ちが芽生えてしまっているのか。何がいやで、どうしていきたいのか。そういった自分の心の声を聞かない限り「お金」に翻弄される人生になり、いつしか自分が不安と感じていた未来を引き寄せてしまうかもしれない。

でも、やっぱり欲しい…お金

偉そうに書いてきたが、お金というものを手段として捉えたとしても、やっぱり欲しくはなる。いくら「お金」というものを手段として捉えることが出来たとしても「不安」というものがなくなるまで持っている人は少ないはずだ。

もしかしたら、仕事を急に失うかもしれない。

もしかしたら、急に病気になって働けないかもしれない。

もしかしたら。。。。こうやって不安は際限なく出てきてしまう。

だから、不安を完全に消すことはできないとあきらめつつ、「もしかしたら」が起きたとしても、まぁ何とかやるしかないよね。といった自分を作り上げることが大切なのだろう。そういった自分を作り上げる手段として、「お金」というものはやっぱり大切ではあるし、稼げる分だけ稼げばよいとも思う。

ただ、稼げていないことが自分の価値を低くさせているのは違う。

稼げていないことは自分が望んで選んでいるだけで、稼ぎたいと選べば稼げるようになる。その行動を選ぶ勇気は必要であるが、より高い場所を目指すことを選んだのであれば、きっとこれを読んでいるアナタは辿り着くはずだろう。

そう、手段でしかない。

一番大切なことは、自分がどう生きて、どう社会とかかわっていきたいか。常に向き合い続けることを辞めないことだと思う。

職業も、お金も、友人も、すべてそれらは「自分がこう生きていきたい」というものの手段にすぎない。だから実は「職業もお金も友人も」なくてもよいのだ(これは言い過ぎかも…)

プロゲーマーで有名なウメハラという人物を知っているだろうか。彼は、プロゲーマーという職業がないところから「ある」に変えた男である。彼は最初からゲーマーというものを目指すことはしていない。だが彼のように、ないものから「ある」に変えることが出来たのは間違いなく自分と向き合い続けた結果だと感じる。彼に興味を持った人は、ぜひともYoutubeで調べていただきたい。

さて、まとめに入ろう。

「お金」というものの付き合い方は非常に難しい。不安に思うし、手段と捉えたからといって増えるわけでもない。しかし、「お金」というものから自分と向き合う機会にすることは大切だろう。自分の生き方と向き合い、どう生きたいのか、そのための手段として「お金」と付き合えたら良いと思う。そうしていくうちに自由に生きていけるようになるのだろう。

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