1人で暮らしてみると、多くのことに気が付く。
暮らしを整えることは、ある程度のお金があれば直ぐに終わる。
ただ、心は違う。いつもと違う環境に心は反応する。
大学生になり、一人で上京したり、地方に行ったり環境が変化した人も多いのではないだろうか。
新しい環境に緊張を覚えながら、2週間もすれば慣れがでてきて、寂しさも覚えてくるのかもしれない。「孤独」というか、なんか満たされないような、もやもやといった感情がおそってこないだろうか。
人は生まれるときも、死ぬときも、基本は1人である。
なのに「孤独」を恐れてしまう感情はなぜ生まれるのだろう。
そして、孤独が強さを増すのは、どこか慣れ親しんだ環境に身を置いて、他人と他愛もない話をしているときだったりしないだろうか。または、あたりまえに居た両親や恋人が傍からいなくなったときではないだろうか。
やっかいな感情だ。きっと生物的な防衛本能がそうしていて、「一人」で生きるということにNOを突き付けて、種の存続を促す役目をしているに違いない。
そんな適当な理由をつけても、このモヤモヤは晴れない。
そうして、感情のまま行動をして失敗する。特に依存先を見つけようとすることは危険だ。寂しさにつけこみ、相手から奪おうとするコンテンツはたくさんある。しかも身近に。
やっかいなのだ。孤独は。
しかし、孤独は孤高につながっていく。
満たされない心と対話をし、なぜかと問いかける。
言葉が見つからずモヤモヤがさらに増す。
ただ、そんなときに本や音楽は君に語り掛ける。「一人じゃないと」
そうして、学び、悩み、叫んだ先に「自分の目指したい在り方」が顔をひょっこり出す。
この、「ひょっこりはん」はずっと顔を出し続けない。また消えて、また孤独を覚えさす。
何回も失敗し、何回も自分を少し嫌いになり、そして少し好きになり、チャレンジしていく。
その先こそ孤独を乗り越えた孤高に生きる自分を受け入れることが出来るだろう。
だが、孤高に出会えたとしても期限がある。
自分と違った信念を持った他人と出会うことで簡単に孤高は崩れる。
そして、喜びを知り、別れとともに絶望を知る。
だが、一度孤高にたどり着いた人間は、孤独から再度スタートし、また孤高にたどり着こうと歩く。
そうして、人に深みが生まれると思うのだ。



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