人手不足から考える教育

教育

看護師・介護士・教員など、給料の割に激務であり、そして社会として必要とされる職業。

これらの職業が軒並み「人気」を失い、人手不足が深刻化している。

とはいえ今に始まったことではない。昔から言われてきたことだ。そもそも、経済の発展を掲げて他国よりも、より働き「幸せ」をつかみ取る思想が植え付いた日本が、こうなってしまうのは自然な流れなのかもしれない。資本主義が良いとか悪いとかではないが、「生きる力=稼ぐ」そんなイメージが社会全体としていまだに根強くある気がしている。

最近「御上先生」というドラマを見たのだが、現代の子どもたちの意識というものは、やはり未だにどこか「上流階級予備軍」というものを目指そうとしている気がしている。それは社会が早く変化をしているのにも関わらず、学校はいまだに古い慣習を引きずって教育を行っているから起きているギャップのようなものが生み出した言葉な気がしている。ただ、「御上先生」が言っていた。真のエリートは、選ばれしもの。つまり持たざるものに対して助けようとできる人たちであると。持たざるものたちを笑いながら、自分の人生を満たすソレは「上流階級国民」に他ならないのだと。

「偏差値教育」からの脱却を掲げて数年がたっているが、子どもたちへの教育は何かアップデートしたのだろうか。いや、そもそも「システム」というものに目を向けすぎているのかもしれない。私たち教員がアップデートしようと出来ていないのは「個人」のせいなのか「システム」のせいなのか「社会」のせいなのか。常に考えつづけないとダメなのだろう。

私の教育観としては、学ぶ内容よりも、「誰と」学ぶかが実は大事で。そして、「誰か」に憧れ、「誰か」に裏切られ、「誰か」を信用し、そして【自分】を少しだけ許すような、そんな時間を与えてくれる場所こそ学校の真のあり方ではないだろうかと思っている

大学を目指す者同士が集まり、切磋琢磨をする時間に覚悟を持つのもいい。

部活動で全国大会を目指すもの同士が集まり、本気で意見を交わしあうのもいい。

若いうちに成りたい将来像を手に入れたのであれば、そこに向かっていけるような時間を与えてもいい。

それらを構成し、私たちがサポートしていくような。。。

そういった集団を真の教員チームだと思う。それぞれ得意な分野はあれど、それを発揮しないと意味がなく、そういった発揮していない教員たちを発揮している教員が少しバカにして鼻を高くするソレは「上流階級国民」に他ならないと感じる。

弱い者といった表現は好きではないし、エリートが助けなければならないといった観点も私個人としては正しいと思えない。ただ、人それぞれ適した場所があり、適した集団を作り、そして助け合う。1人1人の人間が、自己理解を試みて、そして私はこの部分で助けられると手を挙げていく集団こそ「生きる力」を持った人間の集まりだと信じたい。

私の未来の授業も、より「数学」という存在に感謝をし、そして私との出会いによって「生きる力」が何かを考えられる人になってもらえるものにしたい。単に誰かと比較し落ち込むのではなく、誰かと比較し得意げな顔をするのではなく、適した場所を探す方法と、そして悩みを原動力に変えられる自信が授業を通して持てるように私をアップデートしようと思う。

それは私自身が「生きる力」と向き合わなければならないのだろう。そして私自身が得意げな顔が出てくるたびに、この記事を読み返し考えるのだろう。みんなと同じように、私も私であるために戦い続けていくのだ。

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