立ち止まっている気がする

何かを変えようと、一歩を踏み出したときは、非日常的な感覚とともに大きく未来が開けた気持ちになれる。とても素敵なことではあるが、習慣化されていくと気持ちは下がっていくものだ。最近、転職をした人も、新しい何かを始めた人も、最初に比べると非日常的な感覚は失われ、想像した未来と現実の差に少しの諦めと慣れによって日常に変わる。行動の結果が見えてこない。それがとても苦しく、息継ぎをしないで泳ぎ続けているような感覚になる。そうして、進めているのかが不安で、自分の人生が立ち止まってしまっているのかと疑ってしまう。
記事主が「ピースボート」に乗っていた時に、感じていたことである。仕事を辞めて、大きく未来が変わると信じて進みだしたが、船旅が終わりに近づくにつれて「キャリア選択」という現実の話が襲い掛かった。教員に戻るのか(何のために?)自分は何がしたいのか?(今更?)
船旅の間、自分は変われると信じていたけれど、思ったよりも変わっていない自分と向き合った経験をここに書いて、それを読んだあなたが少しでも自分のために生きられるヒントになればと思う。
思考は現実化される

ピースボートの船旅が終わりに向かう頃、若い世代(20代~30代前半)は悩みが顔に出ていた気がする。船を降りてから何をしようかと。そんな時に、水先案内人(ピースボート側が著名人を寄港地~次の寄港地までの間、乗せる代わりに講演会などを実施してほしいとオファーを受ける人)として「四角大輔」という人物が乗ってきた。
彼のプロフィールを簡単に言うと、もともと音楽の敏腕プロデューサーで「絢香」などを手掛けた人だ。それだけでも、みんなからの注目度は高いのに、なんと彼は「釣り」が好きだからという理由でニュージーランドに移住を決め、釣りが好きなだけできる人生を実現した人だった。仕事などを手放し、新しい環境でどのように生活を維持するのか。そういった詳しい行動を船の中で語ってくれた。
これが、若者世代に衝撃を与えた。もちろん、20代後半だった自分も、かなり影響をもらったのと同時に違和感も覚えた。多くの若者が、何か「キャリア」の正解を得たかのように不安な表情から解き放たれた雰囲気に包まれた。それは、まさしく仕事を辞めてピースボートに乗ったときの自分を見るかのように…。
これでは、また同じことを繰り返すと思い、船旅の終盤は常に自分と向き合うことをした。
どんな年収で、どんな暮らしで、どんな場所で、どんな相手と、どんな仕事で。。。自分の望む未来をどのように達成したいのかを紙に書いたり、携帯のメモ機能で言葉を並べてみたり、、、
結局立ち止まっていたような、向き合った結果何になったのかわからないまま船を降りた。何か正解を得たわけではない、でも。。。教えることや誰かの役に立つことが自分の出来ることだと信じた結果、もう一度だけ教員をしてみようと決意したのだ。
ただ、不思議なことが起き始める。それは職場との出会い。
今の職場は、前の職場に比べれば立場(非常勤講師なので)が違うからかもしれないが働き方は自由で、教員が思う大切なメッセージを曲げることなく生徒に伝えられる環境である。まさしく自分の思い描いた理想の教育活動が目の前に広がっていた。なぜ、その職場に出会たのか。これまた偶然で、船を降りたときの求人が「前の職場」と「今の職場」しかなかったからだ。それなら、今の職場かな?って思って軽い気持ちで応募をした。
お金の面もそうだ。学校の非常勤だけでは年収に心配はあったが、ピースボートで出会った元英語教員の人が60歳を機に辞めて塾を立ち上げる計画を話していただき、一緒にやらないかと言われてスタートした。そのおかげで、非常勤講師と塾講師の二足のわらじで、生活をする面では不安なく生活ができた。
思考したものは現実化される。まさしく引き寄せの法則というやつだ。
引き寄せの法則というと、何やら怪しいものだと感じる気持ちもわかる。おそらく、起きた出来事に対して自分勝手に意味づけを行っただけで、引き寄せの法則というものは「願ったら叶う」というものではないだろう。そうやって起きた出来事に対して前向きに捉えられる自分を作り上げれば、起きたものすべてが引き寄せられた感覚になる。それだけなのだ。でも、それがすごく当たり前で難しいことである。思考したものを実行することが難しい。でも、前向きな自分で実行していけば、不思議なことが起きるのだ。立ち止まっているような感覚なんて、誰しも持って当然。ただ、行動をしているならば、それは成長もしているし、きっと望む未来へと進んでいる。
結局さ、自分との向き合い方なんだよ。

今、この記事を読んでいるあなたが、誰かと別れたり、職場に不満を持っていたり、何かに飽きていたり、未来にわくわくしなくなっているならば、それは「何か」を待っていても絶対に解決されない。
それこそ、「何か」を待っている心があるならば、それは立ち留まっている。そんな「何か」は起きないし、起きても受け入れない。素敵な誰かが現れても「私に合わない」、職場の環境が改善しても「あれが解決していない」、何か新しい趣味が見つかっても「やる気が起きないし忙しい」、全部他責になっていく。それはすごく楽であり、危険である。楽は、いつしか後悔へと変わる。「あの時、行動しておけば…」「もっと若ければ…」。手放そう。早く、そんな心を。
ただ、「何か」を待つよりも、自分と向き合って、「何か」を変えたい。そんな気持ちで、始めたものは成長を感じていなくても進んでいる。大丈夫。信じて続けていこう。それは直接的な出会いにつながらなくても、きっとその行動によって起こる未来に対して、あなたは意味づけをちゃんとできるようになる。そうして、未来のあなたはこう言うだろう。「あの行動のおかげで」って。
さて、ここまで体験を交えて伝えたいことを書いていたが、まとめに入ろうと思う。
結局のところ、自分との向き合い方なのだが、これが一番難しい。なぜなら、自分が一番自分を知れていないことが多くある。(知った気になっているのかも)だから、自分との向き合い方は焦らない方がよい。言葉は使い方を間違えれば傷をつける。それは自分との向き合い方でも同じなのだ。誰かと比べて私のここが…とか、愛してもらうためには容姿を変えないといけない…とか、それ自体は悪いことではないが、いきすぎると自分の気持ちが下がっていき、行動しても変化のおきない自分を嫌いになってしまう。自己肯定感が大切なのは、ここにつながっていく。
焦らず、少しの行動変化でいい。それを一日一日認めつつ、何かズレが起きたときに自分と向き合い直していけばいい。そうやって、一歩ずつ進んでいけば、より自分にとって自由な生き方が出来るのだ。



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