教員の働き方と教育の闇について

教育

教員の働きについて

メディアで取り上げられることで日本国内では「教師」という職業が大変であるイメージはついているだろう。特に、小学校・中学校ではそれらが顕著に表れている。なぜ、教員がブラックとなっているのかを記事主の経験でしか語れないが、概ね当てはまっているのではないかと思い書いていこうと思う。

教員とは関係のない職業に就いている人がほとんどであるだろうが、教育は未来を担う子ども達が前向きに人生を踏み出すための土台となるものだからこそ無視してはいけない。これを読むことで、学校の先生と協力する意識が芽生えたり、学校選びをしっかりと考えられるようになってほしい。

ずさんな学校経営や、学級の進め方をする組織に子どもを預けると、それらの環境が子どもに与える影響はかなり大きくなる。もちろん、そんな中で必死に戦っている先生たちは多くいる。決して敵対をしてほしい訳ではないが無駄なことを指摘するのが1教員よりも1保護者の方が力を持っていたりもする。それほど、1教員は考えることすら諦めている状態かもしれない。

しかし間違っても、モンスターになってほしい訳ではない。おかしいことをおかしいというのはモンスターではない。先生と一緒に対話をしてもらいたい。そのためには情報を得ていってほしい。この記事もその一つになってくれることを願っている。

教員の朝の始まり

私が以前勤めていた学校(私立中高等学校)は、いわゆる偏差値教育を推進する学校であった。最近では、偏差値を伸ばす認知的教育よりも、プレゼン力や学び続ける力など点数化しにくい非認知的能力を伸ばす教育が重視されているので授業の仕方や放課後の使い方など細かい部分は変わっているかもしれないが、大体の流れはどの学校も同じと考えて良いと思う。(通信制の学校であったり、学期完結制の学校などは流れが違う可能性は十分にあるので調べてみて欲しい)

教員の朝

HRの時間は大体の学校が8時30分~を設定にしているだろう。そのため、8時10分あたりには教員の朝のミーティングがあったりするので8時には学校に着いている必要がある。

ということは、1日の労働時間を8時間と設定し、休憩を1時間として考えると8時スタートならば17時には終えて帰る必要がある。(ひどい学校だと、就業規則に書かれている時間が8時30分~とかになっていて、暗黙の了解のように朝残業?を強いられているところもあるだろう)

大体担任を持っている先生は、1週間あたりは15コマ~17コマの授業をもつ。つまり月~金、大体1日3コマ、4コマをもつことが大体だ。1日は1限目~7限目、つまり7コマの授業が展開されるので、そのうちの3コマとあれば、他の4コマは空き時間となる(中学校・高校の場合)

そう思うと、案外楽に思うかもしれないが、この空きコマは担当する分掌であったり生徒の問題行動の有無によって大きく変化してしまう。普通であれば、空きコマは次の授業をどう進めて彼らをどう伸ばしたいかに集中する時間であってほしいが甘くはない。もはや空きコマで授業準備が出来るのは奇跡に近い。(もちろんスーパー先生は存在するので、それらスキマ時間を有効に活用する人もいる)

校務分掌の種類

学校によってさまざまな分掌の名前が用意されているが、主に4つほどの分掌がある。

1.生徒に関する分掌(生徒指導部)

2.入試に関する分掌(入試広報部)

3.学校のシステムに関する分掌(教務部)

4.学びなど学習に関する分掌(学習推進部)

もちろん生徒会を動かしたり、文化祭や体育祭などの企画運営をしたり、遠足・修学旅行を企画運営するなど細かいものはたくさん存在する。

どれが一番大変かというと、どれも大変ではある。ただ個人的に、仕事として終わりに予想がつきにくいものは全て生徒がらみのものが多い。

どういうことかというと、入試広報や学習推進、教務に関しては、子どもと関わりはあるものの、仕事としてある程度予測が付きやすく、コントロールがしやすい。外部に出張したりと、塾訪問をしたり、全校集会で説明するなどと確かに忙しい面はたくさんあるのだが、仕事の量と時間をコントロールできるのは大きい。これは、仕事量を減らせるという訳ではなく、単に予測がつきやすいため自分の空いた時間帯に詰め込んで仕事時間を調節していく意味として書いてある。(どの分掌も仕事量は多いため普通に残業が起きてしまっていることがほとんどではある)

しかし生徒指導であったり、行事などの運営に関しては、人を動かす分、コントロールがしにくい側面がある。いつ問題が起きるか分からないストレスと常に戦う必要がある。もしも問題が起きたときには担任は保護者への電話対応に追われたり、学年主任や生徒指導の先生たちは問題生徒の聞き取りに時間を取られたりする。

そういった問題の対応が迫られた場合、多くの先生は定時を余裕で過ぎる。保護者も共働きが多くなってきた時代に、電話やメールなどで対応が出来たとしても普通に18時を超えるだろう。

1回程度のやり取りで事が収まるのであれば御の字だが、1回で解決しない場合は中々にこじれてしまうだろう。そんなときは残業や空きコマがすべて潰れることなんてザラにある。ほかの分掌の教員は自分の分掌に安心し、それらの仕事をなんとなく「忙しそうだな」で片づけてしまう風習も教員ならではだろう。(どの会社でも部署によって忙しさが変わるっていう意味では諦めないといけないかもしれないが…)

部活動の意味

私立学校になってくると、偏差値だけでは差別化できない学校は「部活動」との両立をうたい、成果を出そうと必死になるところもでてくる。言い方は悪いが、客寄せのために部活で成果を出させようとしているのである。

部活動自体は素晴らしいことではあるし、生徒も好きなスポーツで成果を出すために努力をすることは今後の人生においても一つの気づきや自分を変えるきっかけにもなる可能性を秘めている。

大分とメディアでも騒がれた部活問題。これらは、少しずつ改善の兆しが出てきてはいるが、未だにボランティアという側面が強く、そして担当を断りづらい。

この部活動に対しての働き方だけでみると、定額働かせホーダイを生み出している根源ではあるだろう。そもそも、部活の終了時間が18時や18時30分と定時を越えていることに誰しもが気が付いているのに、それらに対して手当は何百円の世界。

しかも、その指導の時間帯に先生が顔を出せるのであれば良いほうではあるが、たいていは時間帯によって補習やら保護者対応などが入ってくるわけである。そうすると、生徒たちは野放しそのもの。生徒間での問題が起きてしまう可能性が大きくなり、その対応にも追われたりするわけだ。

割り切って、部活の指導をせずに威厳だけで何とか場を制す人もいるのだが、すべての仕事に責任感のある先生ほど生徒の顔を気にして病んでいってしまう。

そこで救世主の「外部コーチ」という制度が取られだしたのが最近である。ただ、これも賛否両論である。なぜなら、部活動は結局のところ同じ学校の生徒たちが集まって活動するものである。塾や外部スポーツに所属して、個人能力を高めていこうとしているわけではない。そうなると、結局のところ「外部コーチ」と「生徒」をつなぐ役割として教員が入らないとダメなのだ。何か生徒間で問題があった場合に外部コーチが出てくるわけではない。結局のところ教員が対応しなければならないケースがほとんどだろう。

部活動を生徒集めとしか考えなくなった私立経営陣は多いだろう。他校と競争に勝つとか、そういったことを平然と口にするトップは、きっと自分の学校が潰れだす瞬間まで同じことを言い続けると思う。そういった側面をすべて否定したいわけではない。だが、その部活動に対して大した投資もしていないのに関わらず貪欲にリターンを求める姿勢は、もはや経営者として成立しているのか指摘したいのである。

部活動の意味は、競争だけに焦点を当てて良いものではない。もっと価値が大きくあり、そこに投資をする意義が十分にある。それにも関わらず、単純な外部コーチの制度を当てればよい。手当てをつければよい。そういった発想になることが悲しい。人を増やすことや、フレックスタイム制度など、ちゃんとそれに専念できるだけの案を考えてもらいたいものだ。

きっと教員を目指す人たちは志あっての人が多いだろう。やったことのない担当部活に不安を覚える人もいるが、それに専念できる時間と勉強時間があれば、きっと向き合う人は多いはず。それなのに、適当に若いから選ばれ、まだ結婚していないから大丈夫でしょ、とかいう訳の分からない理屈で残業を押し付ける。そうして生まれた、この教育界全体のブラック気質を見て今更騒いだって、ため息しかでない。

こういった環境に、子どもを預けて何かあったらでは遅いですよ。

何かあったら、ほとんど学校のせいにするのだが、学校のせいにする前にちゃんとあなたは学校を選んだのだろうか。なんとなくの雰囲気で選んでいないだろうか。しっかりと考えてもらいたい。

学校を選ぶ基準はどこにある

偉そうなことを書いたしまったが、記事主もそれほど多くの学校を見たわけではない。

正直言うとどの学校に入ったとて正解でもあり不正解でもある。例えば、自分の子どもが校風が気に入って学校を選んだとする。その結果、自分のことに責任感が持てず、何事に対してもやる気を見せないのであれば、いっそのこと環境を変える手段をとってもらいたい。それぐらい環境というのは、入ってみないと分からない。

自由な校風が良いと思ったが、自由すぎて怠ける子どもに育ってしまったとしても、それは誰かの責任ではないだろう。強いて言うなら、変化を恐れた家庭によって起きてしまったという意味では親の責任なのかもしれない。

これを言うと元も子もないのだが、正直ほとんどの学校が同じような状態である。つまり、どの学校に預けようが教員の状態は軽く病んでしまっている。

だが、例外の学校もある。規模の大きい学校は、割と病んでいる状態も少ない場合が多い。(規模が大きい割に経営自体が悪いと結局変わらないが)

つまり、単純に教員の数が多いため、動いてくれる人が割合多いだけであって根本的にその学校の制度自体が素晴らしいというものではないのだ。ただ、そういった学校を選ぶことによって、もしも人間関係でこじらせることがあった場合でも、クラスの数が多いために分散させることも可能であるし、保護者の意見などに向き合ってくれる専用の先生という(言い方はめちゃくちゃ悪いが)存在が常駐してくれるため安心である。また、クラブ顧問に関しても「やりたい」と情熱を持った先生がスーパー先生になり、家庭を捨てつつも全体を回す仕事回収先生である可能性も高くなる。

きっと今後も制度自体は変わらず、なんとなくの手当増加に少しの希望を見出しつつも、そうじゃないんだよと言いたい減らない仕事量に絶望を感じつつ、辞めるという選択肢を取ることのできないジレンマに病んでしまう教員が増えることだろう。そんな先人たちをみて、教員という選択肢を取ることがバカバカしいと感じる若い世代はますます多くなり、教員のなり手不足は深刻化していくだろう。

そうして生き残る学校はどういう学校なのだろうか。これは時代に反して「大企業」と名をうつかのごとく規模の大きい「名門校」ばかりが生き残り、結局のところ「競争」という札を下ろさず経営を続けることだろう。現代に求められている力と、生き残っている学校にギャップが生まれ、「中小企業」規模の既存の学校が潰れつつも、それを横目に増えていくオルタナティブな学校たち。もはや何の「オルタナティブ」なのかすら分からなくなっていく。

今一度、本当に国民全体が教育に興味をもち、学校教員に対しての大切さを訴えていく人が増えることを願う。この記事が10年後、笑い話になるぐらい。むしろ叩かれるぐらい偏った記事であることを願っている。

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