中学・高校・大学と与えられた学問に触れながら、数学という体系的に完成されたように見える学問と出会えたのは自分にとって運がよかったといえる。
人間が何千年もの時を超えながら、この世界の理を科学的に証明していくことにチャレンジをして後世に伝わっていることが凄く不思議であり、美しさすら覚えてしまう。
しかし、今の満たされている現代。つまり、ほとんどの学生にとって数学というものが一種の成績のために消化されるものへとどんどん成り下がっていく現代でも、人間は「幸せ」になる欲求を捨てられずにいる。
ここでいう満たされているというのは「衣食住」と「安全」。日本人が日本人として生きていける場所があり、スマホで情報を簡単に得られ、ゲームなどのグラフィックレベルが上がり、10年前のような革新的なアップデートが緩やかになってきたという意味である。
ないものねだり。そうかもしれない。何か、だらっとした緩い暇。それは幸せと捉えることもできるが、苦しいと感じることすらある。誰かの煌びやかな人生をSNSで見ては、自分と比較し落ち込む。ただ、その煌びやかな人生を描いているであろう人も実は苦しさを覚えていたりもする。
この世界は未完成なのだ。宇宙の形。なぜ人が知性を得たのか。なぜ人は孤独を嫌うのか。なぜ人は種を繁栄させるための行動を理性というものでコントロールしているのか。
どれも、人間が好都合に描いた妄想ともいえる。ただ、その無意味と思われた1人1人の人生は実は深い場所でつながっている。だから数学は現代でも息をしていると思う。
それは美しさに他ならないだろう。
私が私として生きていいということを世界が肯定してくれることに気が付かせてくれるからだ。



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